「文學界」(四月号)が「ワープロ・パソコンVS.原稿用紙」のアンケート特集。結構、面白い。




2000年3%句(前日までの二句を含む)

March 0832000

 大人だって大きくなりたい春大地

                           星野早苗

直に、おおらかな良い句だと思った。辻征夫(辻貨物船)の「満月や大人になってもついてくる」に似た心持ちの句だ。三つの「大」という字が入っている。もちろん、作者は視覚的な効果を計算している。辻の句とは違い、技巧の力が働いている。このとき「春大地」の「大」に無理があってはならないが、ごく自然にクリアーした感じに仕上がった。ホッ。だから、句の成り立ちからして、掲句は写生句ではありえない。頭の中の世界だ。その世界を、いかに外側の世界のように出して見せるのか。そのあたりの手品の巧拙が勝負の句で、「船団の会」(坪内稔典代表)メンバーの、とくに女性たちの得意とする分野と言ってよいだろう。が、このような句作姿勢には常に危険が伴うのだと思う。技巧と見せない技巧を使うことに執心するがために、中身がおろそかになる危険性がある。「おろそか」は、技巧の果てに作者も予期しない別世界が出現したときに、「これはこれで面白いね」と自己納得してしまう姿勢に属する。俳句は短い詩型だから、この種の危険性は、なにも「船団俳句」に特有のことではないのだけれど、最近「船団」の人の句をたくさん読んでいるなかで、ふと思ったことではある。『空のさえずる』(2000)所収。(清水哲男)


March 0732000

 花種子を播くは別離の近きゆゑ

                           佐藤鬼房

者は東北の人だから、実際に花の種子を播(ま)くのは、四月に入ってからになるのだろう。年譜によれば、三十代より胆嚢を病み、頻繁に入退院を繰り返している。したがって、句の「別離」には、みずからの死が意識されている。いま播いている種子が発芽して花をつけるころには、もはや生きていないかもしれないという万感の思い。だからこそ、いつくしみの思いをこめて種子を播き、新しい生命を誕生させたいのだというロマンチシズム。かつて詩人の三好豊一郎(故人)が、鬼房の句について、次のように書いたことがある。「俳諧の俳味に遊ぶよりも、俳句という形に自己の人生への感慨を封じこめることで、外界はおのずから作者の心象の詩的イメージとなって描き出される。そういう句が多い」(「俳句」1985年7月号)。掲句もその通りの作品で、現実の「花種子を播く」という外界的行為は、抽象化され心象化されて独特のロマンチシズムへと読者を誘っているのだ。読んだ途端に、同じ東北人だった寺山修司の愛した言葉を思い出した。「もしも世界の終わりが明日であるにしても、私は林檎の種子を蒔くだろう」。『何處へ』(1984)所収。(清水哲男)


March 0632000

 月曜は銀座で飲む日おぼろかな

                           草間時彦

暦を過ぎたあたりの句。当時の作者は講談社版『日本大歳時記』の編集に携わっていたはずなので、定期的な仕事のために、月曜日が東京に出てくる日だったのかもしれない。事情はともかくとしても、「月曜日」に飲むというのが、いかにも年齢的にふさわしい。銀座の夜が、いちばん空いている日。若いサラリーマンたちは、体力温存のためにさっさと家路をたどる曜日だからだ。仕事を終えて、気のおけない友人の待っている銀座の酒房へと向かうときは、気持ちそのものが楽しき春「おぼろ」なのである。ほぼ同時期の「しろがねのやがてむらさき春の暮」は伊豆での作句だが、銀座の夕景だとて、春は「むらさき」に暮れていく。酒飲みならではのワクワクする気分が、よく伝わってくる。酒房での会話は、とくに何を話すというわけでもない。「ああ…」だとか「うん…」だとかと、言葉少なだ。それでも何かが確実に通じ合うのは、積年の友人のありがたさというものである。なんだか、さながらに小津安二郎の映画のなかにいるようではないか。ひるがえって私などは、いまだにあくせくしていて、飲むとなると「金曜日」。人生は、なかなか映画のようには運んでくれない。『夜咄』(1986)所収。(清水哲男)




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